頭痛の言い分

長年の頭痛きっかけでたどり着いた未知の世界を紹介しています

タイトル変更の件、忘れとるがな

「パワーっ」「パワーっ」「パワーっ」と息子が
帰宅そうそう叫んでいるので聞いてみると
「中山きんに君のものまね。めっちゃ似てるやろ?」
との返答に一瞬、言語機能を見失ったcocochiです。


春の暖かさと花冷えが勝負している(?)今日この頃
みなさまいかがお過ごしでしょうか?


先日2年ぶりに語学学校時代のクラスメート数人に会うことが
でき、それだけでもうれしくて感動的でしたが、更に、
在学中に頭痛に悩んでいた30代前半の素敵女子から


「悩んでいた片頭痛がよくなった。cocochiの言う通り、ある程度の
年齢になるとだんだん治まってくるんだね」と言ってもらえて
自分のことのように彼女の頭痛軽減がうれしくて泣きそうでした。


もちろん、片頭痛の有無や頻度が年齢で変化するエビデンスはなく
私の経験を話して、たまたま彼女も当てはまったというケースなの
ですが…


いつだったか、このブログのタイトルを変えなきゃと思うような
出来事があり、でも、まだ分析中ということで書かせてもらって
いなかったのですが、これを機に書こうと思いたちました。
読んでいたただけたら嬉しいです。



ある日私は頭痛にまったく関係のない悩みで、ある方の個人
セッションを受けました。そこでその方に言われた一言が


罪悪感がいちばんよくない。周囲にもいちばん迷惑。


という言葉でした。


その言葉は私にとっては衝撃で、理解不能で、どこか安堵したような
とても複雑な思いをするものでした。


それまでの私は、


親の望み通りの人生を歩んでいない。


親を喜ばせることをあまりしていない。


親の面倒をもっとみるべきなのに足りてない。


子どもに夫婦円満な姿を見せてやれない。


子どもを傷つけてしまう選択をしようとしている。


旦那の思うような結婚生活を提供できなかった。


私と結婚したことで旦那をバツイチにさせてしまう。


など、たくさんの罪悪感を抱えていて、それは、
周囲の期待に応えられない、望みを叶えてあげられていない私
なのだから「悪いのは私だ。本当に申し訳ない。」という感情を
自分のなかに持っていて当然と思っていたからなのでした。


悪い私が罪悪感を持って生きるのは当たり前だと思ってたあの日
罪悪感を持つことが如何に害をあるかを教えられ、今でも
はっきり覚えていますが、セッション後、家の天井を見上げて


「いいの?私、罪悪感を捨てていいの?」と誰を意図したか
定かではないのですが、そう何度も呟いていました。


天井を見上げることなんて恐らく何十年ぶりでした。
「人間、こころが重たいと上を見上げることなんて苦しくて
できないんだな」とうすぼんやり悟り、顔を上げて新しい目線
になると同じものを見ていても見え方も気分が全然違うってこと
を初めて知りました。


そして何よりそれからずっと頭痛が消えていたのです。


頭痛がある意味普通状態の私が、


「あれ?なんか頭が超軽い!!!!」


「もしかして、世の中の多くの人はこんな感じなのかな?」
とうれしくて、ワクワクするような、希望の光が差し込んだ
ようなそんな気持ちになっていました。


しかし、残念ながらこの日を境に頭痛とおさらばしたわけでは
ないので、タイトル変更には至りませんでした。


それだけ、長年の思考や感情の動かし方の癖はすぐには
改善できないのでしょう。


でも、私の人生を確実に揺るがした体験であったことは間違い
ありません。なぜなら、私の探求は頭痛だけでなく、人生を
好転させる思考や感情の使い方へシフトしていったからなのです。


今日もお読みいただきありがとうございました。
みなさまに良き出会いがあることをお祈りいたします。
(私は昨日、プリンの上にふわとろホットケーキが鎮座している
夢のようなコンビニスイーツに出会いました)

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